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自 我           (12月11日)

『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て…。』マタイ16:24

 自我は人格を包んでいる殻です。自我には角(かど)があり他から分離し孤立します。自我は子供の特徴であり、それでいいのです。しかし、もし自我を人格と取り違えると、私たちは孤立し続けるでしょう。自我という殻は人格を守るために神が造られた覆いのようなものです。やがて成長と共に人格が現れて神との交わりを持つようになるために、自我は無くなっていかねばなりません。欲望が愛のふりをするように、自我は人格のふりをします。神は人間の性質をご自身のためにお造りになりました。自我は人間の性質を卑しいものにします。
 自我の特徴はひとりよがりと自己主張です。私たちの霊性を妨げるものは、なによりも絶えざる自我の主張です。「信じることができない」と言うのは、自我が妨げているからです。自我は決して信じることができません。しかし人格は信じずにはいられないものです。聖霊が働かれている時に、注意して自分を観察してごらんなさい。聖霊はあなたを自我の限界にまで追い詰めます。そこであなたは聖霊を拒否するか、それとも自我の殻を破り人格が現れるように自我を明け渡すかのどちらかです。聖霊は常に一つのことに絞り込んで来られます(マタイ5:23-24を参照)。兄弟と和解しようとしない心が自我です。神はあなたと一つになることを願っておられます。しかし、あなたが自分の権利を明け渡そうとしない限り、神と一つになることはできません。「自分を捨て」というのは、自らのひとりよがりの権利を捨てるということです。そうすれば真のいのちが成長することができるようになります。

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