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薄れていく神の救い  (6月27日)

『わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。』エレミヤ1:8
 神はご自身の手でエレミヤを助け出すと約束されました。「あなたのいのちはあなたの分捕りものとしてあなたのものになる」(エレミヤ30:18)と主は言われます。これが神が神の子供たちに約束されるすべてです。神がどこに私たちを遣わそうとも、主は私たちのいのちを守られます。私たちの個人的な財産や持ち物には関心を持たず、そういったものすべてに対してゆったりと構えているべきです。もしそうしなかったら、パニックになり、失望し、悩みをかかえるでしょう。神に個人的に救い出されるということが薄れてしまった心の状態とはそのようなものです。
 山上の説教が示している事は、私たちがイエス・キリストのご用に携わっている時は、自分のために何かを主張するひまはないということです。基本的にイエスが言われている事は、「あなたが公平に取り扱われているかどうかで悩んではいけない」ということです。公平さを求めているということは、イエスに対する献身の思いからそれている印です。この世においては決して公平さを求めてはいけません。しかし、他の人には絶えず公平に接していきなさい。もし私たちが公平さを求めると、不平を言い始め、「なぜ、私がこんな風に取り扱われなければいけないんだ」とばかりに自己憐憫という不満の中にふけるようになるでしょう。もし私たちがイエス・キリストに献身しているなら、公平であろうと、不公平であろうと、私たちがどんなことに出会おうと関係ありません。イエスは、「わたしがあなたに与えた仕事を静かにやり続けなさい。そうすればわたしはあなたのいのちを守るのだから」と言われます。もしあなたが自分自身で自分を守ろうとすると、あなたは「私の」救いから自分を遠ざけるであろう。この点に関しては信仰深い人も無神論的になります。私たちは神を信じずに、自分の常識を王座に据え、それに神の名を付けてしまいます。心を尽くして神を信頼する代わりに、自分の悟りに頼ってしまうのです。

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