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難局にあたって立ちあがる習慣  5月15日(私訳)

『神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、…あなたがたが知ることができますように。』エペソ1:18-19

あなたが何のために救われたのか思い出してください。神の御子があなたの身体に宿るようになるためです。神の子として選ばれたことを明らかにするためにあなたの持てる力のすべてを傾けなさい。いつも難局にあたって立ちあがりなさい。
 あなたは救われるために自分で何かをすることはできません。でも救われていることを明らかにするために何かをしなければなりません。神が心の中に成し遂げてくださったことを外に現わすようにしなければなりません。あなたは自分の舌で、自分の頭脳で、自分の神経で救いを外に現わそうとしていますか。もしあなたが今でも以前と同じようにみじめで気難し屋で、自分の考えに凝り固まっているとしたら、神があなたを救い、聖(きよ)めてくださっているというのは嘘になります。
 神は「名監督」です。あなたが困難を正しく乗り越えられるかどうかを見るために、神はあえて困難をもたらされます。「私の神によって私は城壁を飛び越えます」(詩篇18:29)。神はご自分の息子、娘に要求されていることからあなたを隠すということは決してなさいません。「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむこと」のないようにしなさい、とペテロは語っています(Ⅰペテロ4:12)。難局にあたって立ちあがりなさい。行動しなさい。神があなたの身体の中にご自身を現わすチャンスとなるならば、試練によってどれくらいあなたが苦しむかは問題ではありません。
 神が私たちの中にこれ以上泣きごとを見出すことがありませんように。神が何をもたらされようとそれに立ち向かう霊的勇気、奮闘努力を見出すことができますように。神の御子が私たちの身体の中に現れるために自らを訓練しなければなりません。神は私たちを博物館の陳列品にされるのではありません。人生の唯一の目的は神の御子が現れるようになることです。すると神に指示しようとすることは消えてなくなります。主イエスは父なる神に指示されたことは一度もありません。私たちも神に指示するために生きているのではありません。私たちは神のみこころが私たちを通してなされるために、神のみ意志に服すために生きています。このことが理解できれば、神は私たちを裂かれたパンと注がれたワインとして、他の人々を養えるものにしてくださいます。

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