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Archive for 7月, 2011

あなたが完全に神のものとなるまで  (7月31日)

『その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。』ヤコブ1:4
 大抵の人は主なところでは問題ないのですが、ある部分ではいいかげんです。それは罪というわけではないのですが、私たちをいいかげんにさせる傾向にある肉のいのちの名残りです。いいかげんさというものは聖霊にとっては侮辱的なものです。私たちが食べたり飲んだりすることにおいても、神を礼拝することにおいても、いいかげんなところがあってはいけません。
 神に対する私たちの関係が正しくあるだけでなく、その関係の外的表現も正しくある必要があります。究極的には神はなにも漏らす事はありません。すべての細部が神の監督の下にあります。神はあらゆる方法で幾度も同じ事がらに私たちを連れ戻します。神は私たちが教訓を学ぶまで一つの事がらに何度でも連れ戻されます。なぜなら神は完全な者を造り出そうとされているからです。それは衝動的な性質かもしれません。あるいはぼんやりぐせかもしれません。あるいは独りよがりになる傾向かもしれません。何度も何度も神はいつまでも忍耐強く私たちをある具体的な事がらに連れ戻されます。神は完全に正しくなっていない一つの事がらを私たちの心に銘記されようとしておられるのです。
 私たちは神の救いの啓示についてすばらしいセッションを持つことができました。私たちの心は神に対して全きものとなっています。神のすばらしい働きがなされ、主な部分においては私たちの心は神の御前に正しくなっています。聖ヤコブを通してみ霊が「さて、あなたの忍耐を完全に働かせなさい。」と言われます。「ま、今のところはしょうがないよ」と言っている、いいかげんな細部に注意しなさい。それがなんであれ、私たちが完全に神のものとなるまで、神はそれをしつこく指摘するでしょう。

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イエスについて行った後、どうなる? (7月28日)

『それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸…に行かせ…。』マルコ6:45-52
 
 もしイエス・キリストが私たちに何かを強いてさせて、私たちがキリストに従うなら、すばらしい成功を収めるだろうと私たちは考える傾向があります。私たちに対する神の目的は、私たちの夢の実現にあると考えてはいけません。神の目的は正反対であるかもしれません。神が私たちをある目的に、私たちの望む目標に向かって導いておられるという考えを私たちは抱いています。しかし、そうではありません。ある目的に至るかどうかという問題は単に付随的なことにすぎません。私たちが過程と呼んでいることを、神は目的と呼ばれます。
 神の目的をどんなものだと思い描いているでしょうか。神の目的は私が今神とその力に信頼することです。もし私が混乱のただ中で冷静に落ち着いていられるなら、それが神の最終目的です。神は何かある具体的な結末へと導いておられるのではありません。神の目的は過程です。つまり、主が波の上を歩いておられるのを私が見るということ、岸は見えず、成功も目標も見えず、ただ、主が海の上を歩いておられるのを見ているから、大丈夫なのだという絶対的確信を持つことが神の目的です。神に栄光をお返しするものは結末ではなく過程なのです。
 神の訓練は将来のためにではなく、今なのです。神の目的は将来の何かのためではなく、今この瞬間のためなのです。神に従って行った後どうなるかは、私たちに関係のないことです。将来どうなるかを考えると間違えてしまいます。人々が訓練とか準備とか言っていることを、神は目的と呼んでいます。
 神の目的とは、今この時、私の人生の混乱の上を主が歩かれるのを見させてくださるということです。もし私たちがさらに遠い将来のことを見ようとしているなら、すぐ目の前にあることに十分注意を払わなくなります。主について行くことが目的なのだということに気がつくなら、瞬間、瞬間が宝になってきます。

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聖化       (7月23日)

『あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の…聖(きよ)め…となられました。』Ⅰコリント1:30
 
生の側面。 聖化の神秘とはイエス・キリストの完全が私に与えられるということです。それも徐々にではなく、瞬間的にです。イエス・キリストが私にとって聖め(聖化)となってくださったと信仰によってはっきりと理解する時に、起こるのです。聖化とはイエスのホーリネス(聖性)がはっきりと私のものとなるということに他なりません。
 聖なるいのちの驚くべき秘訣はイエスに倣(なら)うことではなく、イエスの完全が私の血肉に自ずと現れるようにしていただくことです。聖化とは「あなたがたのうちにおられるキリスト」のことです。聖化において私に与えられているのはイエスのすばらしいいのちです。そしてそれは信仰によって神の恵みによる至高の賜物として与えられるものです。神のみことばにあるとおり、私は神に聖化を私の中に現実のものとしてもらいたいと望んでいるでしょうか。
 聖化とはイエス・キリストの聖なるご性質が与えられる事です。すべての聖められたたましいの中にはっきりと現れるものはイエスの忍耐、イエスの愛、イエスのホーリネス(聖性)、イエスの信仰、イエスの純粋さ、イエスの敬虔さです。聖化とはイエスから聖くなるための力を引き出すことではありません。聖化とはイエスの中にあったホーリネスをイエスから引き出すことです。そしてイエスはそれを私の中に現わしてくださいます。聖化とは倣(なら)うことではなくて、与えられるものです。倣うというのは別な次元の話です。イエスの中にあらゆる完全があります。そして聖化の不思議とはイエスのあらゆる完全がわたしにゆだねられているということであって、ゆっくりと確実に言葉にできない秩序と健全さと聖さの人生を生き始めるということです。「神の力によって保たれつつ。」
 

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