The Website of Hitoshi "Paul" FukuePosts RSS Comments RSS

Archive for 6月, 2011

Be Still, and Know that I am God!

\"Be Still and Know that I am God!\" Psalm 46
Pastor Paul shares his heart of faith with English speakers here in Kochi. This particular meeting is at one of the homes of Filipino friends in Tosayamada, Kochi Pref. Enjoy the message!

No responses yet

内なる働き   (6月21日)

『しかし、あなたがたは、…王である祭司…です。』第一ペテロ2:9
 
 どのような資格で私たちは「王である祭司」になるのでしょうか。「あがない」による資格です。私たちは自分のことを断固としてわきに置いて、祭司の仕事である祈りへと邁進する用意があるでしょうか。自分があるべき姿になっているだろうかと絶えず心の中を探ることは、神の子どもとしての力強く飾らない生き方ではなくて、自己中心的な陰気なタイプのキリスト教を生み出します。神と正しい関係に入るまでは、かろうじてぶらさがっているだけの信仰であって、「私にはすばらしい勝利がある」とは言うものの、そこには「救い」の奇跡を示すものはなにもありません。「あがない」が完成したということを大胆に信じて前進してごらんなさい。そして、もう自分のことについてこだわることを止めて、「真夜中にあなたの所に来る友のために祈りなさい。聖徒のために祈りなさい。すべての人のために祈りなさい。」とイエス・キリストが言われたように祈り始めてごらんなさい。あなたはキリスト・イエスにあってのみ全き人であることを覚えつつ祈りなさい。「ああ主よ。私はベストを尽くしてきましたから、どうか私の祈りを聞いてください」という訴えに基づいてではありません。
 自分のことばかり考える病的な癖から私たちを解放するために、神はどれほど長く耐えねばならないのでしょう。神が私たちについて語られることに少しも驚かなくなるまで、私たちは自分について死に至る病にかからねばならないようです。私たちの内にある醜さは計り知ることができません。ただ私たちが正しいと言える部分が一か所だけあります。それはキリスト・イエスの中においてです。そこに行き着いたら、全力を尽くしてこの内なる働きのために自らを注ぎだしなさい。

No responses yet

薄れていく神の救い  (6月27日)

『わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。』エレミヤ1:8
 神はご自身の手でエレミヤを助け出すと約束されました。「あなたのいのちはあなたの分捕りものとしてあなたのものになる」(エレミヤ30:18)と主は言われます。これが神が神の子供たちに約束されるすべてです。神がどこに私たちを遣わそうとも、主は私たちのいのちを守られます。私たちの個人的な財産や持ち物には関心を持たず、そういったものすべてに対してゆったりと構えているべきです。もしそうしなかったら、パニックになり、失望し、悩みをかかえるでしょう。神に個人的に救い出されるということが薄れてしまった心の状態とはそのようなものです。
 山上の説教が示している事は、私たちがイエス・キリストのご用に携わっている時は、自分のために何かを主張するひまはないということです。基本的にイエスが言われている事は、「あなたが公平に取り扱われているかどうかで悩んではいけない」ということです。公平さを求めているということは、イエスに対する献身の思いからそれている印です。この世においては決して公平さを求めてはいけません。しかし、他の人には絶えず公平に接していきなさい。もし私たちが公平さを求めると、不平を言い始め、「なぜ、私がこんな風に取り扱われなければいけないんだ」とばかりに自己憐憫という不満の中にふけるようになるでしょう。もし私たちがイエス・キリストに献身しているなら、公平であろうと、不公平であろうと、私たちがどんなことに出会おうと関係ありません。イエスは、「わたしがあなたに与えた仕事を静かにやり続けなさい。そうすればわたしはあなたのいのちを守るのだから」と言われます。もしあなたが自分自身で自分を守ろうとすると、あなたは「私の」救いから自分を遠ざけるであろう。この点に関しては信仰深い人も無神論的になります。私たちは神を信じずに、自分の常識を王座に据え、それに神の名を付けてしまいます。心を尽くして神を信頼する代わりに、自分の悟りに頼ってしまうのです。

No responses yet

次に大切なことは?  (6月8日)

『あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。』ヨハネ13:17
 
 あなたをつなぎ留めている錨の綱をあなたが断ち切らなければ、神が嵐でそれを切り、あなたを沖へ押しやらねばならないでしょう。神を全面的に信頼して、神のご計画の高波へと乗り出しなさい。そうすればあなたの目が開かれるでしょう。イエスを信じるのなら、港の中の穏やかな水面ばかりで過ごしてはいけません。喜びが一杯あるかもしれないけれど、それはいつも停泊した状態です。港の防波堤の中から神の大海へと出て行って、実際に経験してみなさい。そして霊的判断力を身に着け始めなさい。
 何かをするべきだと知っていて、それを実行するなら、即座にあなたは新しい事を発見します。霊的に怠惰になっている部分を修正してごらんなさい。するとそれはあなたがなにかしなければならないと知っていて、行わなかった事だったことに気がつくでしょう。それをすぐにしなければならない必要を感じなかったからかもしれません。そのために現在、霊的識別力、霊的洞察力が欠けています。なにか事が起こると平静さを失い、心を取り乱すのはそのためです。しなければならない事を知りつつ、それをせずにいるというのは危険なことです。
 偽りの従順とは、自分を犠牲にする機会を作り上げようとする心の状態のことです。熱心であることが霊的識別力と誤解されています。自分の霊的な目的を成就するよりも、自分を犠牲にする方が容易です。このことはローマ書12章1-2節に述べられています。多大な犠牲を払う行いをするよりも、神のみこころを識別してあなたの人生に対する神の目的を成就することの方がはるかに良い事です。「聞き従うことは、いけにえにまさる」(サムエル記第一15:22)のです。神があなたに新しい人になることを望んでいるときに、以前のあなたにもどろうとしないように気をつけなさい。「もし行うなら、…分かるでしょう。」

No responses yet