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Archive for 12月, 2010

救いは渇きを創造し、かつ満たす (12月17日)

『生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。』1コリント2:14
 
 神の福音は福音への渇きを生み出す。「それでもなお私たちの福音におおいがかかっているとしたら、それは」ならず者に対して「おおいが掛っているのです」とパウロは言っただろうか。そうではない。「この世の神が不信者の思いをくらませ」ており、「滅びる人々」に対して言っている。ほとんどの人は自らが到達可能な範囲内の道徳心しか持ち合わせていない。福音に対する渇きを感じないのである。神がご自身を啓示されるまでは人の意識に上らない渇きを生み出すのは神である。「求めなさい。そうすれば与えられます」とイエスが言われたように、人が求めるまでは神は与えることができない。神が人の求めに応えないというのではなくて、神は「救い」を土台として物事を構成されたのである。求めることによって、それまでは存在しなかったものを神が創造する働きを始められるのである。「救い」の内なるリアリティとは絶えず生み出すということである。「救い」が神のいのちを私たちの心の中に生み出すように、そのいのちにつながる様々なものを創造するのである。渇きを呼び起こすお方以外に、渇きをいやすことのできるお方はいない。これが「救い」の意味である。神は創造し、かつ満たすのである。
 「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」私たちは自らの経験を語る。そして、人々は関心を持つ。しかし、渇きは呼び起こされない。ひとたびイエス・キリストが引き上げられるなら、神の御霊が神への渇きを意識する人を創造するのである。福音を宣べ伝える背後で、神の創造的な「救い」が人々の心の中で働くのである。人を救うのは決して個人的な信仰の証しではない。「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」

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