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Archive for 10月, 2009

まして天の父は

ルカによる福音書 11章1~13節(新共同訳)

 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈る時には、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何かを与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。そのように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 ひとことお祈りいたしましょう。

 私たちに命を与え、生かし、育み、今日までその御翼の蔭に私たちをかくまい、御自身の瞳のように私たちを守り、イエス・キリストの福音の生命にあずからせ、私たちを愛し続けてくださる天の父なる神様、一人ひとりに御目を注ぎ、永遠に変わることのない愛をもって愛していてくださる私たちの主よ、今朝も私たちをあなたの生命の泉へと招いてくださり、「来て、これを飲め」と招いてくださることを心から感謝いたします。「私の与えるものをただで受けよ」と提供してくださり、私たちが大胆に、謙遜に、あなたの御前に出て、「主よ、生命をください。あなたの水をください。」と、幼な子のように求める時、あなたは豊かにあなたの生命を注ぎ、慰め、励まし、一人ひとりに必要な、満ち満ちた糧を与えてくださることを心から感謝いたします。あなたは一人ひとりに目を向けて、誰一人としてあなたがご覧になっていない人はいないということを心から感謝いたします。そしてあなたが求めていらっしゃることは、私たちが心を開き、信仰の手をさしのべ、「父よ、私の中にあなたの霊を注いでください。父よ、私を主イエスのごとく造り変えてください。父よ、私たちの心に聖霊を注いでください。」と純粋にひたむきに求めることであり、そのように求める者に、あなたは必ず応えてくださることを感謝いたします。今朝、主よ、あなたはこの教会を愛し、一人ひとりにつながるそのご家族をも、そして友人をも豊かに愛し、一人ひとりを祝福の源として、お立てくださっていますことを感謝します。 今朝も御言葉を祝して、今日でなければならないあなたの御旨を示してください。一人ひとりのなくてはならない霊の糧とならしめてくださいますように。愚かな僕を清め、あなたの御栄のためにお用いください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 今日の聖書の箇所は、祈りについてイエス様が弟子たちに教えられた箇所であります。イエス様の日々の生活は、祈りの生活であったといってもいいと思います。ルカによる福音書を今まで見てまいりましたが、“イエス様が祈っておられた”と記されているところが何度も出てまいりました。イエス様が洗礼を受けられた時、“祈っておられると聖霊が鳩のように降ってきた”とあります。イエス様が十二弟子を選ばれる時、“夜を徹して祈られた”とあります。イエス様が、これからご自分が受けるであろうお苦しみを予告された時も、祈りの中でそれを神様から受け止められました。そしてあの山の上で、その姿が変わるという体験をされた時も、イエス様は祈っておられました。ルカによる福音書で最初から最後まで一貫して記されていますことは、イエス・キリストとは、祈りの人であったということであります。そんなイエス様の祈っている姿をしばしば目にしていた弟子たちは、ある時イエス様のところに来て、「先生、祈りを教えてください」と頼んだのであります。その弟子たちの求めに応じて教えてくれたのが、私たちの良く知っているいわゆる“主の祈り”と呼ばれるものであります。この祈りはイエス様がその時、ふと思いついて弟子たちに教えられたというものではなくて、イエス様が常日頃、この祈りを祈っておられたと思われる祈りであります。この祈りの中には、イエス様がいつも一番大切にされていた思いが凝縮されていると思います。私たちが主の祈りを祈る時、私たちもまたイエス様の思いにあずかるようになっていくのであります。イエス様というお方が何を考え、何を日頃思い、何を目指して、何を成そうとしていらっしゃったか、そして今も生けるキリストが何を願い、何をされようとしているか、ということが主の祈りを私たちが祈ることによって、明らかになってくると思われます。この祈りの中にこそ、イエス様が命をかけて達成しようとされていたその御心が込められています。その一つひとつの言葉は、まことに簡潔でありますが、そこにイエス様の教え、また行われたことのすべてが、最もはっきりと、そして最も豊かな形で表現されております。

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