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Archive for the '牧師の小窓' Category

マニラのアメリカン・セメタリー

マニラの中心地にマカティという商業地域がありますが、そこに隣接する広大な場所にアメリカン・セメタリーという場所があります。そこには第二次世界大戦中、フィリピンでの戦いで命を失ったアメリカ人兵士やフィリピン人兵士たちの墓地があります。何万という数の十字架の墓が見事に整えられた公園のような墓地に整然と並んでいます。下の写真の中に見える左右の白い部分がその十字架の墓群であります。写真に見えるのはほんの一部分で、全体はあまりにも広大で驚いてしまいます。その墓地の中央には回廊があり、その壁面に戦死した兵士たちの名前が石にびっしりと刻まれています。その名前を見ていきますと、アメリカのあらゆる州からの出身であることや、その中にフィリピン人も混じっていることなどが分かります。私たちは日本人として日本の立場からこの戦争を考える傾向にありますが、向こうの人々の立場からあの戦争を考えると、これほどの人々があの戦争で命を失ったのかと、この墓地に立って思わされてしまいます。このあまりにも美しい墓地にいると、そこがあの悲惨な戦争で亡くなった人たちの墓地であることを忘れてしまいそうです。私たちは自分たちの側から見るだけでなく、反対の側に立って同じものを見ることも大事であることを、ここに立つといつも思わされます。
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              (マニラのアメリカンセメタリー、2006)

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アイダホ州のNPO

私たちがマニラにいた時に、時々アメリカの教会を回る機会がありました。そんな機会に様々な所を見学して視野を広めることができました。下の写真に あるのは、アイダホ州のナンパという町にある、Hands of Hope(希望の手)というNPOであります。現在、私たちの親しい知人がそこで働いています。このNPOでは各地の病院で使わなくなった古い医療機器や 補助器具などを譲り受けて、それを世界の必要としているところへ送っています。全米でこのようなNPOは二つだけあるのだそうです。病院では医療機器が日 進月歩でどんどん新しいものが出てきますから、古くなったものは使われなくなります。また、車椅子とか、杖とか、等もたくさん余っています。そういった物 を整理し、倉庫に保管し、修理するものは修理し、アフリカや、アジア、ロシアに年に二回ほど大きなコンテナで送り出します。病院から譲り受けるのは無料で すが、船で外国まで運搬してもらうのに多額のお金がかかりますので、それは教会の献金でまかなっています。このような草の根の運動はなかなか普通のメディ アでは報道されませんが、これによって恩恵を受けている人々はかなりの人数になると思います。地道にこういった活動をすべてボランティアでしていることを 見て、大変勉強になりました。日本では使わなくなった医療機器や器具をどのようにしているのでしょうね。

(ハンズオブホープというNPOの前で、アイダホ、2005年)

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マニラ湾の戦争記念碑

下の写真はマニラ湾に近い所にあるフォートサンチアゴという公園の中にある戦争の記念碑です。十字架の後ろに見える入口は旧スペイン統治時代の要塞です が、第二次世界大戦の時、日本軍が米軍とフィリピン人の捕虜数百人をここに閉じ込めて、食べ物を与えず餓死させたと言われています。鉄格子で閉じ込められ て、狭いところで窒息死したとも言われています。私はここに学生の時に一度訪れたことがありました。あの頃、まだ戦争の記憶が生々しく残っていて、いたる 所で戦争の傷跡があり、日本人であることが居たたまれない思いがしました。あれから40年後、私は再びこの同じ場所に立ちました。日本のアジアにおける立 場は随分と変わったことを感じました。日本が戦争を放棄し、アジアの国々に経済的人的支援を惜しまずに行ってきた成果だと思います。しかし、それでも戦争 のもたらした傷はいまだに癒えないものがあり、フィリピンの人達と親しくなると戦争の傷を話してくれるようになります。今、世界は再び軍備拡張が進み、経 済的破綻が見られます。あちこちで国と国とが疑心暗鬼になってきています。ロシアもアメリカも中国もイランも北朝鮮も軍備を拡張しています。世界は危険な 方向に進んでいると感じないでしょうか。この様な時こそ私たちは戦争の悲惨さを忘れてはならないと思います。

(マニラ市のフォートサンチアゴにある戦争記念碑、2007年)

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